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廓文章【くるわぶんしょう】

★ダイレクト移動★
*イラストやゲーム画面で楽しくわかる!
 →主要キャラクター
 →あらすじ


◆初演データ◆

 ◎作者不詳
 ◎寛政五(1793)年五月、大坂大西芝居とされる
 *正徳二(1712)年に書かれた近松門左衛門の『夕霧阿波鳴門』という人形浄瑠璃の前半部分が原作。
 **歌舞伎では文化五(1808)年十月、江戸中村座が初演。




◆解説◆

人形浄瑠璃(文楽)用に書かれ、後に歌舞伎へと移植された《丸本もの(義太夫狂言)》。

 『廓文章』は上方芸の特徴がたいへん解りやすい形で凝縮された演目です。

 元禄期(1688~1704)の上方歌舞伎では傾城・夕霧を題材とした作品が多く作られました。
 才色兼備とうたわれ一世を風靡した夕霧は当時実在した大阪の人気傾城でしたが、延宝六(1678)年に二十七歳で亡くなります。

 それを受けてその翌月に書かれた『夕霧名残の正月』という芝居が大当たり。
 特に夕霧の愛人・伊左衛門に扮した売り出し中の役者・坂田藤十郎(当時32歳)の演技が大好評でした。



 それが筋を変えて上演され続け「夕霧もの」というジャンルで語られるまでになるのですが、『廓文章』の元となったのは正徳二(1712)年に夕霧の三十五回忌追善として上演された人形浄瑠璃『夕霧阿波鳴門』です。
 作者は浄瑠璃の新時代を切り拓いたといわれる近松門左衛門(通称モンモン)。
 この『~阿波鳴門』にはそれまでの夕霧ものにはなかった別の思惑が隠されていたといわれます。
 それは宝永六(1709)年に他界した坂田藤十郎の追善です。

 浄瑠璃作者として有名な近松ですが一時期は歌舞伎も手がけていて、その時の最大の理解者であり協力者が藤十郎でした。
 近松は夕霧ものと共にあった藤十郎の舞台姿を『~阿波鳴門』という浄瑠璃作品の中で人形を使って再現しようとしたのです。



 そんな、夕霧ものの集大成ともいうべき『~阿波鳴門』から藤十郎の芸が最も表れた場面を抜き出して強引にまとめたものが『廓文章』ですから、これはもう時代が変わっても楽しめるように上方芸の魅力を濃縮還元した傑作と言っても大袈裟ではないでしょう。




◆予備知識◆

廓【くるわ】
 遊郭のこと。
傾城【けいせい】
 遊女のこと。
太夫【たゆう】
 最上位の遊女。
大尽【だいじん】
 遊里で豪遊する客。
風の神【かぜのかみ】
 疫病神のこと。
鳥おどし
 案山子【かかし】のこと。
蓬莱【ほうらい】
 関西における新年の祝儀の飾り物の一つ。米・あわび・かち栗・橙・海老などを飾ったもの。江 戸では「食い積み」と呼ぶ。
三方【さんぽう】
 檜の白木で作った角型の折敷【おしき】に、三方に穴のある台をつけたもの。(折敷とは薄い板を折った縁つきの盆のこと)
惣嫁【そうか】
 夜、街頭に立って客をとった最下層の私娼。江戸では「夜鷹【よたか】」といった。
紙子【かみこ】
 歌舞伎では美化され過ぎて伝わりづらいが、本来は紙を糊で張り合わせて作られた着物のこと。「紙衣」とも書く。
病鉢巻【やまいはちまき】
 江戸時代、病気の人が早期回復を願って頭に巻いた絹の鉢巻。殺菌作用などがある紫根(ムラサキ)で染めた。何故か結び目が頭の左側に来るように巻く。




◆主要キャラクター◆
*名前をクリックするとステータス画面が見られます。

藤屋 伊左衛門
 豪商藤屋の若旦那だったが、夕霧の元に通い詰めて七百貫目にも及ぶ大きな借金を作ったために勘当されてしまう。
  それ以来、丸一年にわたり行方知れず。

扇屋 夕霧
 日本三大遊女に数えられ、非の打ちどころがないと称えられる名妓。

●吉田屋 喜左衛門
 かつての上客である伊左衛門のことを心配して使いを走らせる温かい人。

●吉田屋女房・おきさ
 喜左衛門の女房。亭主同様伊左衛門の身を案じている。

●阿波の大尽
 夕霧の評判を聞きつけて、わざわざ四国からやってきた客。




◆あらすじ◆
*場名をクリックするとゲーム画面が見られます。

第一場 吉田屋格子先の場
第二場 吉田屋座敷の場①
       同   ②




◆おまけ◆
モンモンの駄洒落講座


(予定上演時間 約60分)

テーマ : 歌舞伎
ジャンル : 学問・文化・芸術

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